今に息づく万葉集の恋歌 ~新宿御苑で味わう『言の葉の庭』のプラトニック・ラブ~

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水面に映える新宿御苑(東京都新宿区)

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タカオとユキノが逢瀬を重ねた東屋

 

雷神(なるかみ)も少し動(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君を留(とど)めむ
雷神の少し動みて降らずともわれは留(とま)らむ妹(いも)し留(とど)めば

 

《原文》
雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留
雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者

 

《現代語訳》
雷が少し轟いて雲が広がり、雨が降ってくれないかしら。そうすれば帰ろうとしているあなたを引き留められるのに。
雷が鳴らなくても雨が降らなくても、わたしはここにいるよ。あなたが引き留めてくれるなら。

 

(『万葉集』二五一三〜二五一四 中西進 訳 講談社文庫)

 

新海誠監督の『言の葉の庭』(2013年公開)に登場する和歌です。

 

劇中では、
「鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
「鳴る神の 少し響みて 降らずとも 吾は留まらむ 妹し留めば」
という表記になっていました。

 

雨の中で何気なく逢瀬を重ねる二人の主人公(タカオとユキノ)は、やがて心惹かれ合う仲となっていきますが、柿本人麻呂の作とされているこの問答歌は、その象徴的な引用として使われています。何といっても、ユキノは古典の先生ですから。

 

雨の中の庭園(新宿御苑がモデル)を舞台に繰り広げられる、詩的な恋物語。まるで実写かと見紛うような、緻密で美しい自然や都会の風景描写も印象的です。

 

片や、年上の女性に淡い恋心を抱き、靴職人という自らの志に向かって邁進する15歳の青年。彼は家を出て行った母親の面影を見いだしたのでしょうか。そして片や、職場で悩み苦しみ、心を病んだ27歳の女性。彼女は年下と知っていながら、そんな青年の存在に救われていたのです。二人の間には、もはや年齢差を感じさせない「プラトニック・ラブ(肉体的欲望を離れた純粋に精神的な愛)」へと昇華した感情さえ生まれているのではないかと思わせます。

 

美しいカメラワークで再現した現代日本の外的世界の中で、古来の繊細に揺れ動く人物の内的心理を活写する――。アニメーションという手法を通した「映像文学」とさえ呼びたい秀作です。

 

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