受難のウクライナ ~今こそ見られるべき「ホロドモール」の映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』~

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国立ホロドモール虐殺記念博物館(右の建物)。中央は世界遺産のペチェールスカヤ大修道院(Kyiv, Ukraine)from Wikimedia Commons

 

<朗唱>
スターリンは王座で バイオリンを弾く
彼はしかめっ面で パンを生む地方を見る
木の実でできた楽器 悲嘆が生んだ弓
彼が指令を弾けば それは大地に鳴り響く
そしてスターリンは弦を切り 演奏をやめた
地方では大勢が死に 生き残りは少しだけ

 

<歌唱>
飢えと寒さが 家の中を満たしている
食べるものはなく 寝る場所はない
私たちの隣人は もう正気を失ってしまった
そして ついに 自分の子供を食べた

 

(映画の挿入歌『Piosenka Głodnych Dzieci(飢えた子供達の歌)』より)

 

※一部ネタバレあり

繰り返される虐殺の歴史:ロシアの独裁者によるウクライナ侵略

およそ1世紀前の悲劇が、21世紀の今になって再び息を吹き返している。2022年2月24日、ロシアはウクライナへ軍事侵攻を開始した。

 

世界では至る所で、ますます拍車のかかる格差社会を肯定し、権威主義的な政治体制が強化されつつあり、もはや封建時代や全体主義の時代へと逆行しているのではないかとさえ、悲観せざるを得ない状況が続いている。

 

言わずもがな、国際社会から圧倒的な非難を浴びている、ウラジーミル・プーチン大統領が断行したウクライナ侵略は、異常なまでの「大ロシア主義」的思想に根差しているといわれており、明らかに史上に残る残虐行為として、我々の記憶に焼きつけられるだろう。

 

アグニェシュカ・ホランド(Agnieszka Holland)監督がメガホンを取った映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で(英原題:Mr. Jones)』(2019年、ポーランド・ウクライナ・英国合作)は、奇しくも今から約90年前にウクライナで起きた人為的大飢饉「ホロドモール(Holodomor)」の存在を描いている。

 

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“一市民”が暴いた国家の嘘

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』というのは、観客により分かりやすいキャッチーな邦題にするために、よくありがちな長いタイトルだが、3カ国の合作ということでポーランド語では「市民ジョーンズ(Citizen Jones)」を意味する『Obywatel Jones』、ウクライナ語では「真実の代償(The Price of Truth)」を意味する『Ціна правди』となっている(英原題は前述の通り)。

 

英国ウェールズ地方出身のガレス・ジョーンズ(Gareth Jones)は、母国語の英語とウェールズ語のみならず、フランス語、ドイツ語、そしてロシア語に通じたマルチリンガルの新進気鋭なジャーナリストだった。

 

同じウェールズ人の血を引く、デーヴィッド・ロイド・ジョージ(David Lloyd George)元首相に気に入られた彼は、アドルフ・ヒトラーへのインタビューに成功したことで一躍名を知られるようになり、次はソ連に足を伸ばして、ヨシフ・スターリンへのインタビュー取材を試みていた。

 

すでにモスクワで活動していた友人のポール・クレブ(映画のために作られた架空の人物)から「スターリンの黄金」に関する情報を得たジョーンズは、南部行きの列車に乗り込むことに成功する。彼がウクライナ入りしたのは、そのような経緯である。

 

ちなみに、ポーランドにクラクフに拠点を置く隔月刊誌『New Eastern Europe』の映画評*1によると、このポール・クレブ(Paul Kleb)というドイツ人ジャーナリストの設定は、経済誌『フォーブス』モスクワ支局長で、2004年にモスクワで暗殺されたロシア系移民の米国人ジャーナリスト、ポール・フレブニコフ(Paul Klebnikov)へのオマージュだと明言しているところが、なかなか西側や日本でいると気づかない視点で興味深い。

 

なぜウクライナは「スターリンの黄金」にされたのか

ウクライナは、決して簡単ではない地政学的な力学の狭間で、大国の力によってねじ伏せられてきた、まさに受難の国である。古来、ウクライナの広大で肥沃な平原は、たびたび侵略者にとって格好の標的となった。

 

中世にはキエフ大公国として栄えた連合国であり、正式名称を「ルーシ(Роусь)」といい、「ロシア」の語源にもなっている。ところが13世紀のモンゴル帝国に始まり、以降は極めて複雑な地政学的変遷を経ることとなる。代表的なものを挙げれば、ポーランド王国・リトアニア大公国、オーストリア゠ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国など、周辺のさまざまな大国によって支配・分割されてきた。1917年のロシア革命後は、ウクライナでも民族自決運動が起こり、ウクライナ人民共和国として国際的に認められたものの、わずか数年の独立期間を経て、巨大なソビエト連邦(ソ連)に呑まれていった。

 

中学校レベルの教科書でも、ウクライナが黒土地帯/黒土帯と呼ばれ、豊かな穀倉地帯を形成し、“欧州のパンかご”の異名を持つことくらいは載っているだろう。その豊かな土地で、飢饉が人為的に引き起こされたのである。

 

ウクライナの豊かな土地を耕すのは、ウクライナに住む農民である。しかし、ソ連は共産主義政策により、土地の共有化を図っていた。それを――つまり土地を引き渡すことを――ウクライナの人々は頑なに拒んだ。いったい誰が、よそから来た人間に、代々受け継いで守ってきた大事な土地をくれてやりたいと思うだろうか。

 

当然ながら、ソ連の為政者らの目には、多くの住民が農民を占めていたウクライナが敵と映った。そこで、1927年にソ連の実権を握ったスターリンが推し進めたのが、強引な近代化・工業化であり、中でも「五カ年計画」による農業の集団化だった。そしてこれが、ウクライナの農民にとって致命的となった。

 

教科書にも載っている、国営農場(ソフホーズ)や集団農場(コルホーズ)といった用語。しかし、それらがいったいどのような実態だったのかまでは、大半の日本人には全くといっていいほど知られていない。農民を自分の土地から切り離す(=国が全て掌握する)ことは、彼らの生命とともに、自らのアイデンティティーを押し殺すといっても過言ではないのだ。

 

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ウクライナ・チェルニーヒウ州に広がる大平原(Chernihiv, Ukraine)from Wikimedia Commons

 

農民は強制移住させられ、抵抗する者は容赦なく射殺された。このような現実を無視した急激な農業集団化のため、ウクライナ各地で広範な凶作が生じた。共産主義思想の下、富農撲滅運動という名目で、農耕に必要な数頭の家畜を所有しているだけでも「富農」とされた農民は、“反革命分子”というレッテルを貼られ、こうして次々と“粛清”されていったのである。

 

ソ連が国際社会で第一級の国家であることを示すためには、外貨が必要である。急速な工業化に必要な外貨を獲得するために、国内の食糧(小麦)を大量に輸出へ回す必要があった。その小麦の多くを生産したのが、ウクライナの肥沃な土地だったが、外貨として稼いだはずの豊かさは、決してウクライナの人々に還元されることはなかった。まさに江戸時代の日本で「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出る」と発破をかけたように、ソ連政府はウクライナの農民に過酷な調達ノルマを課し、収穫物の大半を収奪していった。

 

西側の欧米諸国が世界恐慌の不景気に喘いでいるときに、なぜソ連だけが、たとえ表層的でも不自然なまでの好景気を享受できたのか? これこそが、ウクライナが「スターリンの黄金」と呼ばれた所以である。

 

そもそも「ホロドモール」とは造語で、ウクライナ語で「飢饉(ホロド)により苦死(モール)させる」ことを意味する。当時撮影された極限の飢餓状態にある子供や、道端で放置された遺体の姿は、思わず目を背けたくなるほどに痛々しいが、彼らが口にするはずだった小麦が、虚飾の「黄金」に化けて為政者の懐を肥やしていたという史実は、本当に何ともやり切れない。

 

当時の為政者は、この当たり前すぎる現実の成り行きを、果たして事前に想定していたのか? 「ホロドモール」の実態を初めて西側世界に伝えたジョーンズをはじめ、この大飢饉が天災として自然発生したのではなく、人為的な理由に由来するのは疑いないという指摘は、おそらく今後も揺るぎないだろう。このほかにも、一説には「ホロドモール」がウクライナ人(および同様に犠牲になったカザフ人なども含めて)計画的な民族のジェノサイド(大量虐殺)だったという見方もある。つまり、ロシア化にまつろわぬ民衆・民族を一掃するという意図である。

 

餓死者・犠牲者の数は諸説あり、推定で数百万人から1,450万人などといわれている。いずれにしても「ホロドモール」は、1991年のソ連崩壊まで、公式にソ連政府によって否定され続けたことは、歴史において覆しようもない事実となった。

 

いまだに亡霊が跋扈する21世紀の世界

「ホロドモール」の人道的な罪は、ソ連の為政者に加担した、西側の知識人らも負うべきであろう。映画にも登場し、「ニューヨーク・タイムズ」紙のモスクワ支局長でピューリッツァー賞の受賞歴もある米国のジャーナリスト、ウォルター・デュランティ(Walter Duranty)のみならず――これは文学の愛読者にとって、大変ショックなことだが――当時、ソ連に招かれていたアイルランドのノーベル文学賞作家、ジョージ・バーナード・ショウ(George Bernard Shaw)や、SF小説で名高い英国の作家、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)らでさえも、同じ轍を踏んだ。

 

彼らは、自身が信じていた社会主義と親和があると思い込んだがゆえに、共産主義の仮面を被った独裁者の正体に気づかずに、ソ連の“模範的な運営が為されている農村”を見せられて、当局の望み通りの視察報告を行ったという。

 

皮肉なことに、進歩的な自由主義や民主主義を肯定しながら、反資本主義のヒトラーやスターリンに近づき、戦争に反対する社会主義者でありながら、優生学を信奉していたのが、最高峰の文学者と位置づけられる文人だったというのは、我々は肝に銘じておかなければならないだろう。

 

似たような事例は、実は形を変えて、ロシアに攻撃されたウクライナの惨状を伝える欧米メディアでも起こっている。ポリティカルコレクトネスに最も近いはずの幾人ものキャスター達が、「ヨーロッパの文明的な国が戦争だなんてあり得ない。ここはアフリカでも、シリアでも、アフガニスタンでもないのに」などといった旨の失言をし、謝罪に追い込まれている。

 

無意識に浮上した、自覚されない差別意識が自浄されないまま、それを中東・アジア・アフリカ側のジャーナリストや視聴者らから、#RacistReportag #StopRacismInUkraineといったハッシュタグを付けて厳しく指摘されていることは、21世紀になっても人間に内在する負の思考や感情を克服することが、いかに難しいかを露呈させている。

 

ソ連への入国を禁止となったジョーンズは、その後、1934年に当時の大日本帝国が支配していた満州国の内モンゴル地方を取材中に、30歳になる誕生日の前日である1934年8月12日、ソ連の内務人民委員部(NKVD)から派遣されたスパイの手で殺害されたと記録されている。

 

ホランド監督は、本作の映画製作に際して、次のように語っている。

 

We knew, when shooting this film, that we are telling an important timeless story. But only after I realized how relevant is today this tale about the fake news, alternative realities, corruption of the media, cowardness of governments, indifference of people.

The clash of Jones’s courage and determination against Duranty's cynical opportunism and cowardice is still valid as well. Today, we don’t lack corruptible conformists and egoists; we lack Orwells and Joneses. That is why we brought them back to life.

【邦訳】
この作品を撮影しながら、私たちが時代を超えた重要な物語を作っていることはわかっていましたが、実際に撮り終えてみると昨今の、盛んに伝えられるフェイクニュースや真実の在り処、マスコミの腐敗、臆病な政府、人々の無関心さなどのさまざまな問題に直結していることにも気づかされたのです。

ガレス・ジョーンズの勇気や意志の強さと、ニューヨーク・タイムズ支局長だったデュランティのひねくれたご都合主義や臆病さとの衝突が、今の世の中でもまだ起きています。賄賂で動く順応主義者や利己主義者はいなくなりません。一方で、ジョーンズやオーウェルのような真実を求め、立ち向かう人が少なくなっているように感じます。だからこそ、私たちはこの映画で彼らを生き返らせたのです。

 

"MR. JONES" Production Noteより抜粋/邦訳は日本語版映画公式サイト「DIRECTOR PROFILE」を引用) 

 

20年ほど前、ジョージ・オーウェルの再来かと思われるような辛辣な皮肉と批判精神で知られた、労働党支持者を公言する大学時代の恩師は、「ヨーロッパの社会と思想の歴史」の講義で次のように言い放った。「ソ連と中国で、共産主義は起きたためしがなかった。あれは共産主義に名を借りた、全体主義による恐怖政治にほかならない」。カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスは、まさか自分達が世に出した『共産党宣言/共産主義者宣言』や『資本論』などの著作によって、翌世紀以降にそれらが独り歩きを始め、ついに悪夢のような現実が地球上に現れることになろうとは、おそらく想像だにしなかっただろう。

 

あえてマルクスらの言葉を借りるなら、このようにも言い換えられるかもしれない。「一つの亡霊が世界に付きまとっている――独裁主義という亡霊が。世界中のあらゆる権力が、この亡霊を迎え入れるために神聖な同盟を結んでいる。ヒトラーやスターリン、毛沢東や東条英機、ポル・ポトやペロン、北朝鮮の金一族、トランプやプーチン、その他アジア・アフリカ・ヨーロッパ・南北アメリカにはびこる、ありとあらゆる政治屋やナショナリスト達なども」。

 

そしてその亡霊は、意外なところで我々の身近に潜んでいる。為政者のつく嘘と、マスメディアの怠慢が国家を存続させ、真実を知る者だけが声を出そうとするものならば、その口は閉ざされる。全ては己の保身のため、誰もが真実に蓋をする。歴史は何も変わっていない。絶望的に――。

*1:当該の記事「Devoted to the truth」には「... However, once they fell out of the authorities’ favour, they were disappearing, like the fictional character Paul Kleb (an obvious homage to Paul Klebnikov, a journalist who was murdered in Moscow in 2004). In the film, Kleb was a German journalist and an acquaintance of Jones.」とある