受難のウクライナ ~今こそ見られるべき「ホロドモール」の映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』~

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国立ホロドモール虐殺記念博物館(右の建物)。中央は世界遺産のペチェールスカヤ大修道院(Kyiv, Ukraine)from Wikimedia Commons

 

<朗唱>

スターリンは王座で バイオリンを弾く

彼はしかめっ面で パンを生む地方を見る

木の実でできた楽器 悲嘆が生んだ弓

彼が指令を弾けば それは大地に鳴り響く

そしてスターリンは弦を切り 演奏をやめた

地方では大勢が死に 生き残りは少しだけ

 

<歌唱>

飢えと寒さが 家の中を満たしている

食べるものはなく 寝る場所はない

私たちの隣人は もう正気を失ってしまった

そして ついに 自分の子供を食べた

 

(映画の挿入歌『Piosenka Głodnych Dzieci(飢えた子供達の歌)』より)

 

※一部ネタバレあり

繰り返される虐殺の歴史:ロシアの独裁者によるウクライナ侵略

およそ1世紀前の悲劇が、21世紀の今になって再び息を吹き返している。2022年2月24日、ロシアはウクライナへ軍事侵攻を開始した。

 

世界では至る所で、ますます拍車のかかる格差社会を肯定し、権威主義的な政治体制が強化されつつあり、もはや封建時代や全体主義の時代へと逆行しているのではないかとさえ、悲観せざるを得ない状況が続いている。

 

言わずもがな、国際社会から圧倒的な非難を浴びている、ウラジーミル・プーチン大統領が断行したウクライナ侵略は、異常なまでの「大ロシア主義」的思想に根差しているといわれており、明らかに史上に残る残虐行為として、我々の記憶に焼きつけられるだろう。

 

アグニェシュカ・ホランド(Agnieszka Holland)監督がメガホンを取った映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で(英原題:Mr. Jones)』(2019年、ポーランド・ウクライナ・英国合作)は、奇しくも今から約90年前にウクライナで起きた人為的大飢饉「ホロドモール(Holodomor)」の存在を描いている。

 

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“一市民”が暴いた国家の嘘

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』というのは、観客により分かりやすいキャッチーな邦題にするために、よくありがちな長いタイトルだが、3カ国の合作ということでポーランド語では「市民ジョーンズ(Citizen Jones)」を意味する『Obywatel Jones』、ウクライナ語では「真実の代償(The Price of Truth)」を意味する『Ціна правди』となっている(英原題は前述の通り)。

 

英国ウェールズ地方出身のガレス・ジョーンズ(Gareth Jones)は、母国語の英語とウェールズ語のみならず、フランス語、ドイツ語、そしてロシア語に通じたマルチリンガルの新進気鋭なジャーナリストだった。

 

同じウェールズ人の血を引く、デーヴィッド・ロイド・ジョージ(David Lloyd George)元首相に気に入られた彼は、アドルフ・ヒトラーへのインタビューに成功したことで一躍名を知られるようになり、次はソ連に足を伸ばして、ヨシフ・スターリンへのインタビュー取材を試みていた。

 

すでにモスクワで活動していた友人のポール・クレブ(映画のために作られた架空の人物)から「スターリンの黄金」に関する情報を得たジョーンズは、南部行きの列車に乗り込むことに成功する。彼がウクライナ入りしたのは、そのような経緯である。

 

ちなみに、ポーランドにクラクフに拠点を置く隔月刊誌『New Eastern Europe』の映画評*1によると、このポール・クレブ(Paul Kleb)というドイツ人ジャーナリストの設定は、経済誌『フォーブス』モスクワ支局長で、2004年にモスクワで暗殺されたロシア系移民の米国人ジャーナリスト、ポール・フレブニコフ(Paul Klebnikov)へのオマージュだと明言しているところが、なかなか西側や日本でいると気づかない視点で興味深い。

 

なぜウクライナは「スターリンの黄金」にされたのか

ウクライナは、決して簡単ではない地政学的な力学の狭間で、大国の力によってねじ伏せられてきた、まさに受難の国である。古来、ウクライナの広大で肥沃な平原は、たびたび侵略者にとって格好の標的となった。

 

中世にはキエフ大公国として栄えた連合国であり、正式名称を「ルーシ(Роусь)」といい、「ロシア」の語源にもなっている。ところが13世紀のモンゴル帝国に始まり、以降は極めて複雑な地政学的変遷を経ることとなる。代表的なものを挙げれば、ポーランド王国・リトアニア大公国、オーストリア゠ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国など、周辺のさまざまな大国によって支配・分割されてきた。1917年のロシア革命後は、ウクライナでも民族自決運動が起こり、ウクライナ人民共和国として国際的に認められたものの、わずか数年の独立期間を経て、巨大なソビエト連邦(ソ連)に呑まれていった。

 

中学校レベルの教科書でも、ウクライナが黒土地帯/黒土帯と呼ばれ、豊かな穀倉地帯を形成し、“欧州のパンかご”の異名を持つことくらいは載っているだろう。その豊かな土地で、飢饉が人為的に引き起こされたのである。

 

ウクライナの豊かな土地を耕すのは、ウクライナに住む農民である。しかし、ソ連は共産主義政策により、土地の共有化を図っていた。それを――つまり土地を引き渡すことを――ウクライナの人々は頑なに拒んだ。いったい誰が、よそから来た人間に、代々受け継いで守ってきた大事な土地をくれてやりたいと思うだろうか。

 

当然ながら、ソ連の為政者らの目には、多くの住民が農民を占めていたウクライナが敵と映った。そこで、1927年にソ連の実権を握ったスターリンが推し進めたのが、強引な近代化・工業化であり、中でも「五カ年計画」による農業の集団化だった。そしてこれが、ウクライナの農民にとって致命的となった。

 

教科書にも載っている、国営農場(ソフホーズ)や集団農場(コルホーズ)といった用語。しかし、それらがいったいどのような実態だったのかまでは、大半の日本人には全くといっていいほど知られていない。農民を自分の土地から切り離す(=国が全て掌握する)ことは、彼らの生命とともに、自らのアイデンティティーを押し殺すといっても過言ではないのだ。

 

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ウクライナ・チェルニーヒウ州に広がる大平原(Chernihiv, Ukraine)from Wikimedia Commons

 

農民は強制移住させられ、抵抗する者は容赦なく射殺された。このような現実を無視した急激な農業集団化のため、ウクライナ各地で広範な凶作が生じた。共産主義思想の下、富農撲滅運動という名目で、農耕に必要な数頭の家畜を所有しているだけでも「富農」とされた農民は、“反革命分子”というレッテルを貼られ、こうして次々と“粛清”されていったのである。

 

ソ連が国際社会で第一級の国家であることを示すためには、外貨が必要である。急速な工業化に必要な外貨を獲得するために、国内の食糧(小麦)を大量に輸出へ回す必要があった。その小麦の多くを生産したのが、ウクライナの肥沃な土地だったが、外貨として稼いだはずの豊かさは、決してウクライナの人々に還元されることはなかった。まさに江戸時代の日本で「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出る」と発破をかけたように、ソ連政府はウクライナの農民に過酷な調達ノルマを課し、収穫物の大半を収奪していった。

 

西側の欧米諸国が世界恐慌の不景気に喘いでいるときに、なぜソ連だけが、たとえ表層的でも不自然なまでの好景気を享受できたのか? これこそが、ウクライナが「スターリンの黄金」と呼ばれた所以である。

 

そもそも「ホロドモール」とは造語で、ウクライナ語で「飢饉(ホロド)により苦死(モール)させる」ことを意味する。当時撮影された極限の飢餓状態にある子供や、道端で放置された遺体の姿は、思わず目を背けたくなるほどに痛々しいが、彼らが口にするはずだった小麦が、虚飾の「黄金」に化けて為政者の懐を肥やしていたという史実は、本当に何ともやり切れない。

 

当時の為政者は、この当たり前すぎる現実の成り行きを、果たして事前に想定していたのか? 「ホロドモール」の実態を初めて西側世界に伝えたジョーンズをはじめ、この大飢饉が天災として自然発生したのではなく、人為的な理由に由来するのは疑いないという指摘は、おそらく今後も揺るぎないだろう。このほかにも、一説には「ホロドモール」がウクライナ人(および同様に犠牲になったカザフ人なども含めて)計画的な民族のジェノサイド(大量虐殺)だったという見方もある。つまり、ロシア化にまつろわぬ民衆・民族を一掃するという意図である。

 

餓死者・犠牲者の数は諸説あり、推定で数百万人から1,450万人などといわれている。いずれにしても「ホロドモール」は、1991年のソ連崩壊まで、公式にソ連政府によって否定され続けたことは、歴史において覆しようもない事実となった。

 

いまだに亡霊が跋扈する21世紀の世界

「ホロドモール」の人道的な罪は、ソ連の為政者に加担した、西側の知識人らも負うべきであろう。映画にも登場し、「ニューヨーク・タイムズ」紙のモスクワ支局長でピューリッツァー賞の受賞歴もある米国のジャーナリスト、ウォルター・デュランティ(Walter Duranty)のみならず――これは文学の愛読者にとって、大変ショックなことだが――当時、ソ連に招かれていたアイルランドのノーベル文学賞作家、ジョージ・バーナード・ショウ(George Bernard Shaw)や、SF小説で名高い英国の作家、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)らでさえも、同じ轍を踏んだ。

 

彼らは、自身が信じていた社会主義と親和があると思い込んだがゆえに、共産主義の仮面を被った独裁者の正体に気づかずに、ソ連の“模範的な運営が為されている農村”を見せられて、当局の望み通りの視察報告を行ったという。

 

皮肉なことに、進歩的な自由主義や民主主義を肯定しながら、反資本主義のヒトラーやスターリンに近づき、戦争に反対する社会主義者でありながら、優生学を信奉していたのが、最高峰の文学者と位置づけられる文人だったというのは、我々は肝に銘じておかなければならないだろう。

 

似たような事例は、実は形を変えて、ロシアに攻撃されたウクライナの惨状を伝える欧米メディアでも起こっている。ポリティカルコレクトネスに最も近いはずの幾人ものキャスター達が、「ヨーロッパの文明的な国が戦争だなんてあり得ない。ここはアフリカでも、シリアでも、アフガニスタンでもないのに」などといった旨の失言をし、謝罪に追い込まれている。

 

無意識に浮上した、自覚されない差別意識が自浄されないまま、それを中東・アジア・アフリカ側のジャーナリストや視聴者らから、#RacistReportag #StopRacismInUkraineといったハッシュタグを付けて厳しく指摘されていることは、21世紀になっても人間に内在する負の思考や感情を克服することが、いかに難しいかを露呈させている。

 

ソ連への入国を禁止となったジョーンズは、その後、1934年に当時の大日本帝国が支配していた満州国の内モンゴル地方を取材中に、30歳になる誕生日の前日である1934年8月12日、ソ連の内務人民委員部(NKVD)から派遣されたスパイの手で殺害されたと記録されている。

 

ホランド監督は、本作の映画製作に際して、次のように語っている。

 

We knew, when shooting this film, that we are telling an important timeless story. But only after I realized how relevant is today this tale about the fake news, alternative realities, corruption of the media, cowardness of governments, indifference of people.

The clash of Jones’s courage and determination against Duranty's cynical opportunism and cowardice is still valid as well. Today, we don’t lack corruptible conformists and egoists; we lack Orwells and Joneses. That is why we brought them back to life.

【邦訳】
この作品を撮影しながら、私たちが時代を超えた重要な物語を作っていることはわかっていましたが、実際に撮り終えてみると昨今の、盛んに伝えられるフェイクニュースや真実の在り処、マスコミの腐敗、臆病な政府、人々の無関心さなどのさまざまな問題に直結していることにも気づかされたのです。

ガレス・ジョーンズの勇気や意志の強さと、ニューヨーク・タイムズ支局長だったデュランティのひねくれたご都合主義や臆病さとの衝突が、今の世の中でもまだ起きています。賄賂で動く順応主義者や利己主義者はいなくなりません。一方で、ジョーンズやオーウェルのような真実を求め、立ち向かう人が少なくなっているように感じます。だからこそ、私たちはこの映画で彼らを生き返らせたのです。

 

"MR. JONES" Production Noteより抜粋/邦訳は日本語版映画公式サイト「DIRECTOR PROFILE」を引用) 

 

20年ほど前、ジョージ・オーウェルの再来かと思われるような辛辣な皮肉と批判精神で知られた、労働党支持者を公言する大学時代の恩師は、「ヨーロッパの社会と思想の歴史」の講義で次のように言い放った。「ソ連と中国で、共産主義は起きたためしがなかった。あれは共産主義に名を借りた、全体主義による恐怖政治にほかならない」。カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスは、まさか自分達が世に出した『共産党宣言/共産主義者宣言』や『資本論』などの著作によって、翌世紀以降にそれらが独り歩きを始め、ついに悪夢のような現実が地球上に現れることになろうとは、おそらく想像だにしなかっただろう。

 

あえてマルクスらの言葉を借りるなら、このようにも言い換えられるかもしれない。「一つの亡霊が世界に付きまとっている――独裁主義という亡霊が。世界中のあらゆる権力が、この亡霊を迎え入れるために神聖な同盟を結んでいる。ヒトラーやスターリン、毛沢東や東条英機、ポル・ポトやペロン、北朝鮮の金一族、トランプやプーチン、その他アジア・アフリカ・ヨーロッパ・南北アメリカにはびこる、ありとあらゆる政治屋やナショナリスト達なども」。

 

そしてその亡霊は、意外なところで我々の身近に潜んでいる。為政者のつく嘘と、マスメディアの怠慢が国家を存続させ、真実を知る者だけが声を出そうとするものならば、その口は閉ざされる。全ては己の保身のため、誰もが真実に蓋をする。歴史は何も変わっていない。絶望的に――。

*1:当該の記事「Devoted to the truth」には「... However, once they fell out of the authorities’ favour, they were disappearing, like the fictional character Paul Kleb (an obvious homage to Paul Klebnikov, a journalist who was murdered in Moscow in 2004). In the film, Kleb was a German journalist and an acquaintance of Jones.」とある

「名前たちの歌」を語り継ぐ、祈りと鎮魂の音楽 ~映画『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』を再考する~

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The Sherlock Holmes Museum, 221B Baker Street, Marylebone,
London

 

悲しみ泣く声は、言葉とは言えず、歌とは言えまい。寧ろ一種の動作であるが、悲しみが切実になれば、この動作には、おのずから抑揚がつき、拍子がつくであろう。これが歌の調べの発生である、と宣長は考えている。

 

<中略>

ここでの歌は挽歌(ばんか)、死者に呼びかける歌である。

 

(『悲しみの秘義』「6 彼方の世界へ届く歌」若松英輔 ナナロク社)

 

※一部ネタバレあり

「祈り」というクリスマスの贈り物

フランソワ・ジラール監督の最新作『天才ヴァイオリニストと消えた旋律(原題:The Song of Names)』〈2019年〉を観たのは、奇しくもクリスマスの日だった。

 

今年の5月に観た『ノマドランド』が、現代社会を鋭く映し出す鏡だとしたら、本作は歴史の暗い闇にスポットを当てた「祈り」の歌。どちらも映画館内で声を殺して落涙したが、前者は数々の大賞に輝き祝福された一方、後者はあまりに過小評価され、看過されている傑作だと思えてならない。

 

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邦題は何やらトンチンカンなタイトルになっているが、英語の原題をほぼ忠実に訳せば「名前たちの歌」、あるいは意訳すると「死者たちの名の歌」となる。

 

この映画を観た後、ぜひサウンドトラックで「The Song of Names Prayer」を聴き直してほしい。ラビが発する、苦しげで悲痛に満ちた呻きのような歌。歌詞は、強制収容所で命を落とした人々の名前だけで、その調子が延々と続く。それはまさに、冒頭に引いた挽歌のありようだ。想像してみてほしい、愛する人の名が、そこに連なっているとしたら?

 

ナチスに追われてイギリスに渡ったユダヤ系ポーランド人の青年ドヴィドルが、ともすればヴァイオリニストとして天才の名を欲しいままにできたかもしれなかった、もし平和な時代に生きていれば自分の成功も受け入れてよかったかもしれないのに、彼は死者を弔うために同胞の名前を歌い継ぎ、祈りのために自らの生涯を賭すことをあえて選択したのだった。

 

ドヴィドルは「“歌”を演奏しに行くため」に、長い流浪の旅路につく。かつて同じ師の下で学んだライバルで、悲嘆のあまり精神を病んでしまったユゼフの前で弾いた。ある時は恋人のアンナを車中に置き、トレブリンカの無人の跡地で、その“歌”を奏でた。

 

眠れぬマーティンが一人部屋に籠もり、拙いイディッシュ語でカディッシュ(追悼の祈り)の言葉を呟くシーンを最後に、この映画は幕を閉じる。これが何を意味しているか? 妻に「カディッシュは歌わないの?」と聞かれて、「ドヴィドルは僕の家族でもないし、それに死んでもいないから」と返答したものの、本心では、ドヴィドルは紛れもなく彼の兄弟であり、そしてもう二度と相見えることはないと悟ったとき、ドヴィドルは彼の中で亡き者となったのだ。だからこそ、マーティンは精神的家族として、ドヴィドルのためにカディッシュを捧げたのである。

 

筆者はここに、ようやく「祈り」の何たるかを見た思いがする。祈りとは本来、人知れず孤独の中で行うものだ。誰かに見られなければ、評価され賞賛されなければ、意味がないのか? そういった目に見える浅薄な価値をことごとく覆し、他者への思慕を乗せて、目に見えない想いを何か大いなるものに託すという、この極めて聖なる行為の意味を、われわれ現代人はもう一度、よく噛みしめる必要があるように思う。

 

それぞれがキリスト教、ユダヤ教、仏教などと称し、表向きは異教徒の風習の一つに過ぎないかもしれないが、クリスマスの日に、これほど大いなる人生の贈り物があるだろうか。

 

彼らの魂のために

私たちの兄弟姉妹

イスラエルの子ら

聖なる者 清き者

 

ラパポート ああラパポート

ラパポート

ワルシャワのアヴルム

 

ラパポート

クトノのベレルとハイェ=ソロ

その子ヨッシー

そしてイェヒエル

そしてレア

 

彼らの思い出に祝福あれ

 

ラパポート

ハイム=ドヴィド

 

ラパポート

ジフリンのシュア=ハイム

 

ラパポート

イェラハミエルと彼の末娘

エルケ

そして幼きシュロイメ

シュニル=ザルマン

そしてリヴカ

 

彼らの思い出に祝福あれ

 

ワルシャワのアーニャ

ベラとその子供たち

ワルシャワのルーベンとリフケ

 

ジグムント・ラパポート

その妻エスター

2人の娘ペシア

そしてマルカ

 

(名前たちの歌 『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』パンフレットより抜粋)

 

音楽が持つ意味、音楽が果たす役割

ジラール監督の音楽に対する造詣の深さは、これまでのフィルモグラフィーからも窺い知ることができる。

 

  • 『グレン・グールドをめぐる32章(Thirty Two Short Films About Glenn Gould)』〈1993年〉
  • 『Inspired by Bach』J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番より「牢獄の響き(The Sound of the Carceri)」〈1997年〉 ※チェロ奏者ヨーヨー・マとの共同作品
  • 『レッド・バイオリン(The Red Violin)』〈1998年〉
  • 『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声(Boychoir)』〈2014年〉

 

これらの映像作品のほか、シルク・ドゥ・ソレイユの舞台やリヒャルト・ワーグナーのオペラ『パルジファル』など、多数の演出作品がある。

 

同じくクラシック音楽やイディッシュ民謡などに啓発された類似の作品として、サリー・ポッター監督の『耳に残るは君の歌声(The Man Who Cried)』〈2000年〉が思い出されるが、こちらは複数の登場人物がそれぞれに関わる歌や音楽を数珠つなぎにしてストーリーを紡いでおり、使われている音楽の意味にさほどの一貫性が見られないため、内容の面ではいささか深さに欠けているように思う。

 

映画における音楽とは、オペラに代わる総合芸術にとって欠かせない要素であることは言うまでもないだろう。しかしジラール監督にとっての音楽は、それにとどまらない。音楽は時代を越えて、人と人をつなぐ「生きた証」にほかならないのだ。

 

前作の『レッド・バイオリン』では、クライマックスで次のような種明かしがされる。通常の発色よりも赤みを帯びた珍しい名器として、オークションで高額取引されているバイオリンに、実は300年以上も前、バイオリン職人の亡き妻の血がニスに混ぜられていたという事実が鑑定で判明する。自ら作り出した楽器に愛する者の血を注ぐことで、彼ら二人の「生きた証」が密やかに、しかし永遠に奏で続けられるのである。

 

本作では、その衝撃をさらに上回るほどの「生きた証」が、残酷な形で知らされることになる。21歳のドヴィドルは、華々しいデビューコンサートの本番前にいったん外出して帰途につくが、ロンドン北西部のユダヤ人居住区に迷い込み、そこでシナゴーグへ案内される。トレブリンカでの収容所生活を生き延びた5人のラビが、かの地で亡くなったユダヤの人々の名前を歌にして記憶していた。ラビが詠唱するその歌詞を聴き、ドヴィドルは初めて肉親が全滅したことを知り、慟哭する。その日、ドヴィドルが行方不明のまま、コンサートは中止となった。

 

35年後に再起を図って開催されたコンサートの前半で、見事にマックス・ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」を弾きこなし、慇懃に礼を払ったドヴィドルは、一転して後半では、コンサート用の正式な衣装を着替えてユダヤ民族の衣服を身に纏い、帽子を被り、ヴァイオリンを構えるとイディッシュの旋律を奏で始める。そう、これが、かつてシナゴーグでラビが詠唱した「名前たちの歌」を、彼の手でヴァイオリン用にアレンジしたメロディーなのである*1

 

その美しい哀愁を帯びた異国の旋律を聴いて感動したロンドンの聴衆は、ドヴィドルを絶賛し、総立ちで拍手を送った。しかしこの時、彼は一度も礼をせずに舞台から立ち去った。もはやドヴィドルにとって、ヴァイオリンの演奏で得られるであろう名声や富は、彼の人生において全く意味を為さなかったのだ。

 

これが、ジラール監督作品において音楽が果たす役割である。音楽は作品に色彩を施す単なる道具ではない。人間が生きていることの証明、あるいは、命そのものだといっても過言ではないだろう。

 

「名前たちの歌――

それは、この世から消え去った者たちの

思い出を称える歌なんです」

 

(フランソワ・ジラール 『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』パンフレットのインタビューより)

 

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トレブリンカの慰霊碑 from Wikimedia Commons
ここでもドヴィドルは人知れず「名前たちの歌」を弾いた

 

なぜ批評家や観客の評価に結びつかないのか

元来、作品に対する評価は、受け手の器によって大きく左右されるものである。そういった意味で、一部の批評家や観客の意見が雑多に集計された玉石混淆のレビューは、とても信用に値するものではないが、試しにWikipediaの記述からいくつか拾ってみよう。Rotten Tomatoesによれば、「本作は興味深い要素から作られているものの、本来あるべき形で満足させられるようなドラマには仕上がっていない」というのが、批評家の一致した見解だという。

 

興味深い要素(intriguing ingredients)とは、さしずめ「ああ、またお決まりのユダヤものか」といったところか。実際に、ホロコーストを扱った作品は枚挙にいとまがない。しかし揺るがぬ史実を前にして、一体誰を、何をもって「満足」させるというのだろう。よし史実に触発されたフィクションだったとして、果たして彼らの望む「納得のいく結末」というのは、お涙頂戴の民族の違いを超えた友情とか、35年の歳月を経て再起した天才のサクセスストーリーとか、そんなものなのか。所詮、腐ったトマトである。

 

おそらく、ハッピーエンドを期待した多くの観客にとって受け入れがたかったのは、最後にドヴィドルが選んだ「マーティンとの永遠の別れ」という道が、ある意味でユダヤ民族の閉鎖性を思わせたのだろう。あるいは、ドヴィドルがマーティンに対して突きつけた一方的な別れの宣言は、「人類みな兄弟であるから、仲よく共生すべき」という現代の思想的グローバル・スタンダードとは逆行するものに映ったのかもしれない。

 

しかし、ここで考えてみなければならないのは「祈り」である。ホロコーストで愛する肉親を奪われ、残された者たちの悲嘆を、いったい誰が汲み取ることができるというのか? 次々と生存者が世を去りつつある中、七十数年前に起きた酷い事実を語り継ぐことのできる者は誰なのか? 平和な時代しか知らない現代人には、到底、自分事として捉えることのできない、途方もなく重い責務である。だからこそ、ドヴィドルは亡き同胞の名前の歌を語り継ぎ、一生を賭して祈りと鎮魂の音楽を捧げようと決意したのに違いない。

 

筆者には、ドヴィドルが選び取った道はあまりに自然な心の成り行きのように思われた。これは宗教上の問題なのではない。彼が、内なる心の声に耳を傾けた結果なのだと思う。

 

生半可な邦題に対する苦言

それにしても、『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』という邦題は、金輪際いただけない。この日本語版タイトルを考えた人間は、おそらくこの映画の本質を全く理解していないのだろう。ジャンルも「ドラマ/スリラー/ミステリー」と紹介されていたものだから、実際、筆者がこの映画情報を受け取ったときには「どうせ音楽に絡めた、軽いサスペンスものだろう」と高と括り、正直なところ、当初は何の期待もしていなかったのだ。危うくこの傑作を見逃すところだった。

 

えてして人生は謎めいたものである。本作のあらすじこそ人捜しの話には違いないが、このような“謎”でスリラーやミステリーといわれても、観客は戸惑うばかりであろう。第一にスリラー映画とは、おおむね「謎によって観客の緊張感や不安感を煽ることを狙いにした映画」を指しており、およそこの作品の主題とはかけ離れている。

 

その点で言えば、原題の『The Song of Names』こそドヴィドルがヴァイオリンの音色で歌い上げた「死者たちの名を呼ぶ歌」、すなわち挽歌あるいは鎮魂歌(レクイエム)としてこの映画を象徴するものであり、まさにタイトルとしてふさわしい。これを日本の観客に対して、どれだけ細かなニュアンスまで伝え切れるかが、配給者としての資質を問われるのである。

*1:実際に作曲したのは、本作の音楽を手掛けたハワード・ショア〈Howard Shore〉だが、彼はこのために1950年代に録音された音源を集めて研究し、ユダヤ教の伝統的典礼についても主唱者〈cantor〉であるブルース・ルーベン〈Bruce Ruben〉から指導を受けている

時代を越えたシェイクスピア ~映画『ノマドランド』に見る、悲しめる者にこそ宿る詩心~

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W. シェイクスピアの生家(Henley Street, Stratford-upon-Avon, Warwickshire

 

苦境に虐げられた流浪の人々を描きながらも、詩的な雰囲気をまとう傑作

いまだ収束の糸口が見えないまま、世界中がコロナ禍に見舞われて暗雲垂れ込める中、2021年に公開された映画『ノマドランド(原題:Nomadland)』が、第77回ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞に続き、第78回ゴールデングローブ賞、第93回アカデミー賞など国内外で高い評価を得たことは、非常に明るいニュースでした。

 

監督は、中国・北京出身のクロエ・ジャオ(Chloé Zhao、本名:趙婷)が務め、自ら脚本・編集なども担当していますが、いわゆる“非白人”かつ“女性”による作品という、前人未到の快挙として称えられたことも記憶に新しいですね。

 

米国などで活躍する外国出身のアーティストたちは、ともすれば自身の文化的アイデンティティーを問う作風を貫くことも多いですが、『ノマドランド』はそういった異文化的要素が全くない状況下で、米国社会のある一角を活写した映画です。これは、アジア系の人々に対するヘイトクライムが後を絶たない中、決して安易な“同情票”で得た評価ではないことの証左ともいえるでしょう。 

 

一切の演出を感じさせない、その淡々としたカメラワークから一見、ドキュメンタリー映画という印象を受けますが、もともとはジェシカ・ブルーダーが著した実録『ノマド ―漂流する高齢労働者たち―』(春秋社)を原作として、ジャオ監督が脚色を加えたもの。主な登場人物の中には、実際にノマド生活を送っている人々も起用されていますが、フランシス・マクドーマンド(Frances McDormand)が演じる主役のファーン(Fern)は、原作にはないオリジナルの人物として描かれました。

 

日本の映画館では本作のパンフレットさえ売られておらず、なかなか製作背景を知ることができませんでしたが、驚いたことに、原作の映画化権を獲得し、すでに『Songs My Brothers Taught Me』(2015年)や『The Rider』(2017年)などで実力を発揮していたジャオ監督を望んで起用したのは、むしろマクドーマンドからのアプローチだったとのこと。主人公を、花を咲かせず地味ながら、過酷な環境でも強く生き抜く植物のシダを意味する「ファーン」と名付けたのも、彼女のたっての意向だったようです。*1

 

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実を言うと、英文学者の北村紗衣氏による映画評「アカデミー賞最有力! 映画『ノマドランド』──放浪する主人公を支える詩の力」を読まなければ、おそらく私が『ノマドランド』を観ることはなかったかもしれません。それほどに、映画の中で詩の存在が欠かせないスパイスのように効いているのです。

 

作品が時代を超越するという現象は、過去に書いた「今に息づく万葉の恋歌 ~新宿御苑で味わう『言の葉の庭』のプラトニック・ラブ~」にも通じるテーマですが、この『ノマドランド』でもまた、シェイクスピアの台詞やソネット(sonnet、14行詩)の引用が効果的に活かされていることは特筆すべきです。

 

優れた詩がそうであるように、短歌もまた、それが「ちから」を内包していればいるほど、時代の制約を超えた象徴性を帯びてくる。<中略>時代を超えて新しい「読み」を促すのである。

 

(『本の窓』2021年3・4月号「光あることば」 若松英輔 小学館)

 

中国出身の女性監督が見つめた米国社会の一角

ノマド(nomad)とは、民族学的にいえば「遊牧民」、あるいは一般的に「流浪者」を意味する言葉ですが、本作で登場するノマドとは「車上生活者」を指します。バン(小型トラックやワゴン車)を改造したキャンピングカーで移動し、車中で食事をし、眠り、必要があれば路上に停車・駐車して、ある期間は労働に従事することも。ノマドの人々自身、「我々はhomelessではない、houselessなのだ」と主張し、むしろその境遇を前向きに捉えているようです。つまり、ビジネス業界的な言い回しをもってすれば、全てが“自己裁量”の世界になるわけです。ある見方をすれば、自由を謳歌できるお気楽な生き方と思う人も少なくないかもしれません。

 

しかし、本作の根底で流れるのは「果たして自己裁量なのか?」という問いかけです。映画の冒頭で、企業や工場が閉鎖されてゴーストタウンとなった米国ネバダ州エンパイア(Empire)の荒漠とした土地が映し出されますが、2008年のリーマン・ショックに端を発した経済危機が、この辺境の地にも容赦なく波及したことが暗示されます。不動産や株式投資などという虚構にまみれたマネーゲームの犠牲となったのが、むしろそれとは無縁の貧困層だったことは、ここ十数年間の世界経済情勢を見ても明白です。

 

裕福な中国人の親の下で反骨精神の強い少女に育ったジャオ監督は、15歳でイングランドの寄宿学校に入れられ、その後、渡米して気の向かないまま政治学を専攻し、ニューヨーク大学で映画製作を学ぶまでは、パーティーのプロモーションや不動産業、バーテンダーの職などを渡り歩いたといいます。*2

 

作中、車の修理代を借りるために、ファーンは姉の家に立ち寄りますが、奇しくも不動産業で成功している義兄が「あの時(リーマン・ショックの頃)に土地を買い占めておけばよかった」と、守銭奴のような笑みを浮かべた瞬間、彼女は次のような趣旨の台詞を吐き出します。

 

「他人に多額の借金を背負わせて金儲けをすることに、人として恥ずかしいと思わないのか」

 

ノマドの人々の存在は、安定した経済活動に就き、安穏とした定住生活に甘んじることに何ら疑問を持たない資本主義社会のあり方に、真っ向から異を唱えるものだといっても過言ではないでしょう。映画の中で、ノマドの登場人物たちが車上での生活費を稼ぐために、臨時労働者として清掃や調理、アマゾン倉庫でのピッキング、農園での収穫などの低賃金肉体労働に従事する姿がつぶさに描かれます。また、束の間得られる余暇には、定住者らと何ら変わりなく、映画館に行き、ダンスホールで踊り、食事をします。

 

こう言うと「資本主義に反対しておきながら、まるで寄生虫のように経済的恩恵を享受しているではないか」という的外れな声も聞こえてきそうですが、それぞれの主張はさておき、いったん都市部での労働を離れ、自分のバンで広漠と続く道を駆るノマドの人々の目に映るのは、大自然の厳しくも美しい壮観。いったいどちらが人間らしい生き方なのか――。ファーンの姉が、妹を擁護して誇らしく「ノマドこそ、西部開拓者の伝統を受け継ぐ人々だ」と称えた理由が、そこにあります。

 

ファーンがその不動産屋の男に言い放った言葉は、もしかしたらジャオ監督が自身の過去、あるいは鉄鋼会社のマネージャーや不動産ディベロッパーとして財を成した中国社会のエリートである父親に対して向けられた贖罪なのかもしれない、とさえ思えるのは、邪推が過ぎるでしょうか。

 

いずれにしても、コロナ危機により、それまでの生活形態や常識がことごとく覆されていく渦中にあって、人間本然の生き方を静かに問うた本作が、なおのこと世界各国の評者や観客の共感を呼んだことは間違いありません。

 

シェイクスピアの普遍性を窺わせる言葉の力

夫の死後、ゴーストタウン化したエンパイアを去ることを余儀なくされた主人公ファーンですが、ノマド生活を始める前は、英文学を教える臨時教員でした。

 

車上生活を始めるための買い出しでスーパーに入った折、かつての教え子に出会ったファーンは、次の一節を暗唱させます。

 

To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death.

 

(Macbeth, Act V Scene V:一部抜粋)

 

明日も、明日も、また明日も、
とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、
歴史の記述の最後の一言にたどり着く。
すべての昨日は、愚かな人間が土に還る
死への道を照らしてきた。

 

(『マクベス』第5幕 第5場より 松岡和子 訳) 

 

これは『マクベス』の「トゥモロー・スピーチ」と呼ばれる、夫人が亡くなったことを知らされたマクベスが、人生の虚しさを嘆く場面で語られる有名な台詞ですが、すでに人生の後半に入ったファーンにとって、「明日も、明日も、また明日も……」が、これから来る日も繰り返される流浪の旅を暗示させ、極めて象徴的な印象を与えてくれます。このシェイクスピアの言葉を映画の台本に盛り込んだ、ジャオ監督とマクドーマンドの人生を見つめた鋭いセンスが光ります。

 

本場の英国はもちろんのこと、米国などでも中等教育からごく普通にシェイクスピアの作品を習うようです。余談ですが、そういえば筆者が国際学校の高等部にいた時分にも、フランコ・ゼフィレッリ監督版のスチール写真付きで、『ロミオとジュリエット』の全テキストが載っていたことを思い出します。それほど欧米の人々にとって、シェイクスピアは馴染みのある存在なのでしょう。

 

また、ファーンは流浪生活の途中、同じくノマドの青年に向けて、彼の恋人に「ソネット18番」の詩を贈ってはどうかとアドバイスするシーンもあります。劇中では、車内に本棚があったかどうかは確認できませんでしたが、すぐに諳んじて他人に教えられるほどに、もはやシェイクスピアの詩は彼女の血肉となっているのでした。ここに私は、シェイクスピアの言葉が持つ、時代を超越した人間の精神的普遍性を見いだせるような気がします。

 

Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date:
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance, or nature's changing course, untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade
Nor lose possession of that fair thou ow'st;
Nor shall Death brag thou wander'st in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st;
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.

 

(Sonnet 18)

 

君を夏の日に喩えようか?
君はさらに素敵で穏やかだ。
荒々しい風は五月の可憐な蕾を揺らし、
夏のかりそめの命は短かすぎる。
時に天の眼差しはあまりに暑く輝き、
黄金色の顔も暗く翳ることがある。
どんなに美しいものも皆いつか衰え、
偶然にか、自然の成り行きの中で刈り取られる。
だが君の永遠の夏は色褪せることなく、
君に宿る美しさも消えることはない。
死神が君を死の影へ彷徨わせているとは言わせない、
永遠の詩に詠われて時と一体になるならば、
人が息をし、目の見える限り、
この詩は生き、君に命を与え続ける。

 

(ソネット第18番 拙訳)※参考*3

 

昨今観た映画の中で、これほど魂をえぐられた作品はありませんでした。死と隣り合わせの自由。厳しくも美しい自然。それぞれの喪失体験と悲しみを胸に秘めながら、壮大な大地でただ孤独に車を駆り、時に仲間たちと束の間の再会を喜び、苦楽を分かち合うノマドの生き方。彼らが体現する生きることの深さを目の当たりにして、何度も滂沱と涙が流れました。

 

われわれのような数多の定住者は、安穏とした生活を享受することに、何らの疑問を抱くこともありません。安定と引き換えに何かしらの縛りを受けていれば、自由気ままな車上生活にむしろロマンを感じることもあるでしょう。あるいは、経済的苦境から流浪生活を余儀なくされ、知恵の限りを尽くしてノマドの生活を選んだ人々に対し、憐憫や嘲りさえ覚えるかもしれない。しかしそれでも、どこかノマドと呼ばれる人々に対する畏敬の念を抱くのは、彼らがより人間の尊厳と誇りを宿しているからだろうと思えてなりません。

 

最後に、映画を観た日に綴った私記から引用して、筆を置きます。「どんなに富める者よりも、どんなに安泰な生活を送る者よりも、ノマドの人々は生きることの何たるかを知っている。彼らにこそ、人生を深く謳い上げる詩がふさわしい」。

 

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 シェイクスピアが生きた時代の衣装を纏って町を歩く女性達(Stratford-upon-Avon, Warwickshire