インタビュー記事を作る醍醐味とジレンマ ~「沈黙のコトバ」を届けるために~

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「坊主バー」のお経を模したメニュー(東京都新宿区荒木町) 

 

語られた言説だけを信用してはならない。また、書き記された言葉だけを信用してもいけない。そこには本当に起こったことの断片しか述べられていないからだ。

 

むしろ、あらゆる言葉は、語られなかったことによって支えられている。

 

だから私たちは、もっとも伝えたいことを胸に秘めたとき、しばしば言葉を発するのをやめ、沈黙のちからを借りる。真に文学者と呼ぶに値する人は、いわば言葉の世界と沈黙のコトバの世界を橋渡しする者であるようにも感じる。

 

(『種まく人』「沈黙の秘義」 若松英輔 亜紀書房)

 

人が語るということ

世間では仕事納めの、年の瀬がやってきました。かくいう私は取材ライターの仕事を抱え、今日は神奈川県S市にある石材店を訪れたばかり。つまり、正月はお墓について書くことになるのですが(!)、非常に印象的なインタビューとして心に残ったので、少し書き留めておきたいと思います。

 

決して大きくはない駅から、バスに揺られること十数分。そこからさらに徒歩で行くと、辺鄙な所にポツンと一軒、小さな事務所がありました。社長のS氏が一人で迎えてくださったのですが、インタビューの開始から5分ほどは、お互いに緊張してなかなか話の流れがつかみにくいもの。その緊張をどうほぐすかが、インタビュアーの腕の見せどころでもあります(汗)。「うちの強みですか? 特にないのですけれどもね……。ああ、そういえば」と、S氏は思い出したように、隣県の山梨からわざわざ依頼に来た方のことを話してくださいました。

 

インタビュー慣れしていないS氏の朴訥な語りから、途端に自然に笑みがこぼれました。「『なぜうちに依頼を?』とお客さんに聞いたら、『Sさんに任せると安心だ』と言ってくれたんです。一年越しに、細かい注文を慎重になさる方だったのですが、面倒がらずに全て対応したら、最後に感謝の手紙までいただきました。会社の利益よりお客さんのことを考えると近道なんですね」。人が熱意を込めて語る瞬間ほど、その人の魅力が発揮されることはない。インタビューの醍醐味とは、その魅力を目撃することにあるといえるでしょう。

 

語られざる人間のドラマ

押し並べて、ビジネス系のインタビュー記事では、ことごとくネガティブなイメージを忌避した“前向き”な内容が好ましいとされています。自社イメージが利益につながりますから、当然と言えば当然ですね。特に、大手と呼ばれる企業では「広報PR(パブリックリレーションズ)」を戦略として合理的に駆使し、それなりの予算を割いてイメージアップを図っています。その結果、「自社のアピール」や「他社との差別化」という紋切り型の枠組みの中で、マニュアル化されたインタビュー記事を大量生産するわけです。

 

先日、都内でも有数の上場企業に転職したばかりの公認会計士さんへのインタビューに同席したときのこと。彼は決して雄弁ではなく、履歴書どおりの経歴を述べながら、資格取得の動機や、転職の理由を説明するのに何度も言葉を詰まらせていました。おそらく、他人には秘めておきたい、人知れぬ苦労や苦悩のドラマがあったのは、想像に難くありません。ところが彼の上司や人事担当者は、いかに彼が有能で自社にとって有益であるかを強調し、あたかも“汚点”を隠すのに躍起になっていたように見受けられました。とどめは、「自社が他社よりもいかに優れているか」という妄信的なアピール。この手のインタビューは二度目でしたが、すっかり私は食傷してしまったのでした。

 

他人の自慢話ほどつまらないものはありません。成功譚は、欠点や失敗談に裏打ちされてこそ意味があり、面白いのですから。

 

文字で表し得ないことこそ、読み取ってほしい

インタビュー記事を制作するとき、最初に立ち会った生身の人の話から、執筆、校正・校閲、編集の手を経て記事化された最終形の文章を見てみると、“事実の偽造”とまでは言いませんが、いかに別物に仕立て上げられたかについて、いささか罪悪感にとらわれないこともありません。時には、語り手の気持ちや意図を“忖度”してあえて脚色することも。それでも、たいていは「こんなにまとめてくださってありたがい」というお言葉をいただけるのです。これをジレンマと言わずして、何と呼ぶべきでしょうか。

 

これは自戒を込めて言いますが、出来上がった字面だけを見て喜んでいる間は、物書きとしてまだまだ未熟だということです。その証拠に、ベテランのライターさんほど、編集者が無難に仕立て上げた文章を満足に思っていません。一見、美しく整えられて完成した文章からこぼれ落ちた思いや意味は、再び拾いようがないのですから。

 

冒頭に挙げた引用の中で、批評家の若松氏は、“文字で全てを表し得る”と信じて疑わない現代のリテラシーに警鐘を鳴らしています。今後、皆さんがインタビュー記事を読むとき、どうか書き記された文字の断片から「語られなかった何か」を感じ、汲み取っていただければ幸いです。