「ロンドン」
ウィリアム・ブレイク
私は、特権を誇っている町という町を、
特権を誇っているテムズ河のほとりの町々を、歩きまわる。
すると、そこで出会う一人一人の顔に
疲労困憊の色、悲しみの色が漂っているのを私は見る。
どの男のどの叫び声にも、
怯えて泣くどの嬰児の泣き声にも、
どの声にも、どの憤恚(ふんい)の声にも、
人間の心が自ら作った鉄鎖の呻きを、私は聞く。
煙突掃除の少年の声を聞いて、なんと、
黒ずんだ教会が竦(すく)み上がることか!
哀れな傷病兵の溜息を聞いて、なんと、
宮殿の石壁から鮮血が滴り落ちることか!
だが、とりわけ、私の耳を打つのは、真夜中の
街々に溢れる若い娼婦の詛(のろ)いの声だ。なんと、
彼女らのその声に、生まれたばかりの嬰児の涙が涸れ、
夫婦生活が悪疫に見舞われ、墓場と化してゆくことか!
(『イギリス名詩選』平井正穂 編 岩波文庫)
変わりゆく時代だからこそ目が離せない
歴史の中で、変革の時ほど面白い時代はありません。長らく停滞期にある現代の日本で生きていると、なおさらそう感じるのでしょうか。
私の場合、「生まれる場所も時代も間違えた」というくらいに、19世紀後半のヴィクトリア朝から20世紀初頭のエドワード朝にかけての英国に対して、異常な興味と興奮を掻き立てられるわけです……もちろん、階級差別あり、厳格な因習あり、公害ありの悲惨な時代。それと同時に、産業革命によって新しい階層、新しい技術、新しい価値観がせめぎ合い、古きものに取って代わる激動の時代でもありました。
時代と作品のシンクロニシティー(同時性)
今回は、奇遇にもこの同じ時代と国を舞台にした、二つの漫画作品についてご紹介します(なるべくネタバレしないように気をつけます!)。
森薫さんの描いた『エマ』(KADOKAWA)は、孤児からメイドになったエマとジェントリ(上流階級)出身のウィリアムを主人公に、清冽に湧き出る泉のような人間性の気高さと純愛を美しく謳い上げました。人として生きる小気味よさが全編を貫き、読後感を爽やかにしてくれます。なお、『エマ』については「ヴィクトリア朝に生きた女達の、高貴なる『耐える勇気』 ~ブロンテと『エマ』の時代の英国~」でも少し触れました。
一方、船戸明里さんの『アンダー ザ ローズ*1』(幻冬舎コミックス)では、貴族と召使いの狭隘な世界で、どす黒い憎悪や嫉妬、堕落、狂気が渦巻く中、人間の美醜をこれでもかと描き切っています。その地獄のような人間模様にあって、なお悲哀や歓喜とともに生きている人間のしたたかさを讃えます。
この二人の対照的な作家性こそ、19世紀末の英国の矛盾した、アンビバレントな(相反する感情が同時に存在する)姿そのものだといえるでしょう。もう一つの共通点といえば、主人公が眼鏡をかけた理知的な若い女性であり、それぞれのお相手はどちらもウィリアムという名前。片や、紳士として真摯に守ってくれるのに、片や、伯爵家で優等生の顔をしながら家庭教師(ガヴァネス)を手込めにして泣かせるというこの愛し方の対局性。
相撲で例えるなら、東京都出身の森さんが「東の横綱」で、愛知県出身の船戸さんが「西の横綱」という、日本の漫画界で堂々たる勝負に出たところ。いや、勝負などよりも、ぜひ両方の世界に入り浸っていただきたいのです。その深淵を見た者は、あまりの面白さに二度と戻って来られませんから(笑)
*1:under the rose=秘密に、内緒で〈昔、バラは秘密の象徴だった〉