同時代の連帯へといざなう、新しいペルシャ詩の世界 ~現代イラン女性詩人たちの闘い~

イスラム教の聖典『クルアーン』の見開きページ(東京ジャーミイ礼拝堂内)

 

ペンは剣よりも雄弁なり

ほんの1カ月前には、ペルシャの「ペ」の字もない生活を、漫然と送っていた。転機は、2023年10月7日にガザ地区のニュースが流れたのを、目の当たりにしたことだった。昨年2月以来のウクライナ侵攻に続き、脳天に直撃を喰らったようなショックを覚え、自らの非力と無知にただおろおろと狼狽するばかりであった。

 

「パレスチナ vs. イスラエル」の構図は、ともすれば「イスラム教 vs. ユダヤ教」と短絡的に報道されがちだが、この根深い確執が単なる宗教戦争ではないことは、少し歴史を紐解いてみれば分かることだ。ただあるのは、双方の破壊的な暴力の支配者が、双方の無実の市民を無差別に殺傷しているという、凄惨な構図だけである。

 

ここで正義の是非を概説したところで、何の意味もない。せいぜい日本の一市民としてできることは、政治的に操られやすいあらゆる民族差別的感情を排し、政治の外に出て、生きて死にゆく人々の存在を前にして、何もなす術もないことに、忸怩たる思いをするほかない。

 

人間であるとは、まさに責任を持つことだ。自分には関係がないように思われた悲惨をまえにして恥を知ることだ。

 

(『人間の土地』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 著/堀口大學 訳 新潮文庫)

 

今までさほど知ろうと努めてこなかった、イスラムやユダヤとは、いったい何なのか。それらの名を冠して生きている人々は、どのような価値観を持っているのか。少なくとも、安易な近視眼に陥ることなく、知ろうとする強靭な良識が、我々に求められている。

 

一国の様相を読み解くには、多角的な視点が必要である。いささか乱暴な言い方をすれば、日本という国も、世界の大半を敵に回して太平洋戦争を引き起こした張本人でありながら、その昔、紫式部が『源氏物語』を生んだ風土でもある。時代や状況が異なっても、同じ国の出来事には違いない。

 

時に、芸術文化や文学は、政治や経済で眩惑した目の曇りを取り払い、人間のユニヴァーサル(普遍的)な本然の姿を明らかにすることがある。我々は、メディアの報道を通して、敵味方に分断された世界の片鱗を見せつけられた時にこそ、むしろ一度立ち止まって、一冊の書物に立ち返る必要があるのだろう。

 

詩という入口に立つ 

筆者は常々、外国で書かれた詩にはどんな作品があるのか、興味をそそられてきた。詩という表現のかたちは、どこか風土的な香りを醸しながら、その土地に生きる個人の顔がよく見える。人間の集団的排他性を克服するには、国家という投網ではなく、個々の顔と出会うことが、最も効き目があるように思う。

 

なぜこの期に及んで、ペルシャ詩なのか? 答えはごく単純で、推しのアーティストがイラン出身だった、というだけの理由だ。イスラム文化圏は広く、いったいどこから始めてよいのか分からない――。そういう時に、オタク的な興味のアンテナは、向かうべき方角をおのずと導いてくれるものらしい。

 

ペルシャの人々にとって、詩がいかに身近なものであるか。それを如実に表している、端的かつ魅力的な一節がある。

 

イランでは、私達は小さい時から詩集や短歌にふれて育っています。その影響なのでしょうか? ポエムのような詩を男女問わずに、お互いに書いたり送ったりする習慣があります。

 

www.metroguide.jp

 

かつての日本人も、寺子屋で『論語』を諳んじ、仏壇の前で読経し、四季の移ろいを和歌や俳句に詠った人々である。しかし、もはや“コスパ志向”で文化・教養的な書物に何の価値をも見出さず、文学や詩を嗜んでいた古来の感覚にすっかり疎くなってしまった現代日本人には、なかなか復活させがたいカルチャーなのかもしれない。

 

欧米諸国に移住・亡命したイスラム文化圏出身の作家が多い理由の一つに、幼少の頃から『クルアーン』を暗唱する習慣を持っていると指摘されているのは、実に興味深い。

 

イラン出身の俳優・芸能タレントであるサヘル・ローズ氏は、紡ぐ言葉の美しさや卓越した表現に定評があるが、もしかしたらペルシャ語話者(その他にダリ語、タジク語も話すマルチリンガルでもある)として身につけた豊かな文学的素養が、日本語の語りにもそのまま表れているのではないか、と感じられてならない。果たして、ご本人はどのように思われるだろうか。

 

ドイツの詩人ゲーテにも影響を与えたペルシャの詩聖、ハーフェズ

ペルシア文学というと、素人でもまず思いつくのはハーフェズの名であろう。晩年のゲーテは、文明に汚されていない東洋への憧れを募らせ、『クルアーン』やハーフェズの詩にも嗜み、1819年に『西東詩集(West-östlicher Divan)」を上梓している。ちなみにドイツ語の原題に使われている「ディヴァン(Divan)」は、ペルシャ語で個人の詩集(دیوان)を意味する。

 

インドのガンジス川をロマンティックに夢想した、ハイネの「歌の翼に(Auf Flügeln des Gesanges)」にしても然り。19世紀のヨーロッパでは、東洋の甘美な異国情緒(エキゾチシズム)に酔いしれる文人が後を絶たなかったようだ。

 

抒情詩はえてして、原語で発せられる美しい旋律に乗せて朗誦されるのが、最も望ましい。しかしアラビア文字の読解すら不可能な、圧倒的大多数の日本人読者にとって手にすることができるのは、『東洋文庫 ハーフィズ詩集』(ハーフィズ 著/黒柳恒男 訳 平凡社)の一冊になるだろう。

 

Hafez, detail of an illumination in a Persian manuscript of the Divan of Hafez, 18th century; in the British Library, London from Wikimedia Commons

 

古めかしい訳語には硬さがあるが、それを差し引いても「ガザル(غزل=恋愛を主題にした定型抒情詩)」の美しい色彩に満ちた数々の詩編の魅力が失われることはない。

 

筆者が抱いた印象として、思わずユダヤ経典『旧約聖書』の「雅歌」を彷彿とさせた。西洋の諸言語で「Song of Songs」、つまり「歌の中の歌」という最大級の賛辞をもって称えられる、まぎれもない男女の性愛を描いた一連の詩だが、どうやら古代の近東に根差した慣習を描いているという(Pope, Marvin H. 2007. Song of Songs. Yale University Press)。

 

両者が似ているとは言わないまでも、現代の圧政とは程遠い、おおらかな人間賛歌を見ることができる点では、なんとも幸せな邂逅ではないか。

 

2007年には、日本人俳優の麻生久美子が果敢にペルシャ語での演技に挑戦した『ハーフェズ ペルシャの詩(うた)』が公開された。こちらの「ハーフェズ」は歴史上の人物を描いているわけではなく、ハーフェズの詩にインスピレーションを得て創作された、現代を舞台にした悲恋の物語。さしずめ、イラン版『ロミオとジュリエット』といった仕上がりになっている。

 

www.bitters.co.jp

 

ペルシャ詩に聴く、近現代イラン女性の叫び

紫式部もいい。ハーフェズもいい。しかし筆者には、古典の偉大な巨人よりも、同時代を生きるイランの女性たちが、どのような想いで言葉を紡いできたのか、そちらの方に興味が大きく惹きつけられた。

 

イラン文学において、女性詩人の作品とその人生は、社会的に適切ではないという理由から、その多くが歴史上の記録として重視されることはなく、次第に色褪せ、黙殺されてきた。彼女たちの人生は曖昧な記録としてしか残されず、その作品も散逸・欠損、もしくは規制された結果、我々が彼女たちの詩に出会う機会はほとんどない。

 

(ザフラー・ターヘリー『古鏡の沈黙 立憲革命期のあるムスリム女性の叫び』解説より)

 

イラン立憲革命期(1906年から1911年にかけてイランで起こった革命)には、ペルシャ四大女流詩人の一人といわれるパルヴィーン・エーテサーミー(Parvīn E'tesāmī、1907年~1941年)や、雅号「ジャーレ(Žāleh、“露”という意味)」の名で近代フェミニズムの香り高い詩集を残したアーラム=タージ・ガーエムマガーミー(Ālamtāj Qāʾem-maqāmi、1883年~1947年)などがいた。

 

パルヴィーン・エーテサーミーの肖像 from Wikimedia Commons

 

パルヴィーンはタブリーズの名家に生まれ、当時はごく稀だった米国系女学校に学び、17歳で卒業した。西欧式の教育を受けた彼女は、近代的で自由な思想を謳歌したことから、イランの伝統的な家庭には到底溶け込めず、結婚による拘束に嫌気がさして早々に離婚したという。

 

ジャーレもまた、イランの政治・文学の分野で重要な地位にあった家柄に生まれ、二人とも高い教養を備えた名門出身の才女という点で、共通している。そして彼女の詩に一貫しているのは、二回りほども年上の男性と結婚させられ、忍従を強いられることへの抵抗詩・抵抗歌という姿勢だ。

 

...... 彼女は一つの結論に達する。それは、これらすべての社会的な事柄について、宗教のうちで条件付けがなされているにもかかわらず、それらが看過されている、ということだった。彼女の批判は明らかに、イスラームの教義を改変し女性たちに社会的な活動の権利を与えてこなかった男性たちに向けられたものであり、その点で、彼女の言説は非常に「男性批判的」である。

 

(ザフラー・ターヘリー 同上 序より)

 

一方、市民の権利が多分に抑圧されたイラン革命後(1978年1月~)の現代イラン社会において、果たして女性詩人はどれほど自らの声で発表することが許されているのだろうか? もしかしたら、圧政下で完全に彼女たちの声は封じられたままなのではないか? 内情を知らない我々日本人には、全く未知の世界だと言わざるを得ない。

 

ところが一部では、それは少し杞憂だったようで、多くのイラン女性たちが、国外で新しい時代のペルシャ詩を発信していることを知り、むしろうれしい誤算だった。本稿ではその中から、英語で併記された詩の意味を手がかりに、数編の作品を紹介したいと思う。

 

国外から母国を見つめる女性たちのまなざし

約60年間のイラン女性の声を集めたアンソロジー

"Song of the Ground Jay: Poems by Iranian Women, 1960-2022" selected and translated by Mojdeh Bahar (2023, Mage Publishers)

 

『イランサバクガラスの歌』という名を冠した、このユニークなペルシャ詩の英訳アンソロジーについて、少し触れておこう。

 

イランサバクガラスというのは、砂漠に生息するイランの固有種で、生息環境に完全に適した、砂色と黒と白の模様をまとった鳥のこと。砂漠を駆け抜ける姿が颯爽として、環境に適応しやすく、それでいながら美しい鳴き声や力強さが際立っている―—。この強靭な生命力こそが、ペルシャ女性の象徴(シンボル)なのだという。

 

イランサバクガラス(ラテン:Podoces pleskei/英:Pleske's ground jay)from Wikimedia Commons

 

20世紀は、批評家や作家、脚本家、詩人として活躍するイラン女性の数が、著しい増加を見せた時代である。ある別のアンソロジーによれば、前世紀に300人以上の女性詩人が誕生したといわれる。本書に収められている作品の詩人は、(西欧化・世俗化を推進した)パフラヴィー2世(パーレビ国王)が即位した1941年9月から、イラン革命を経て現在のイラン・イスラム共和国に至るまでの、100人の女性詩人による作品を所収している。
〈中略〉
私はこれらの詩が、読者の体験や心と共振してくれることを願う。

 

モジュデ・バハール 編者・翻訳者 Introductionより
※( )は筆者註

 

本書で特徴的なのは、どの詩人も国内外で大学・大学院を卒業した、高学歴のプロフェッショナルだということだ。ゆえに、市井の人々の声ともまた違った視点で、同時代のイラン社会や世界を凝視している。

 

I drop in on hope
More than anyone, I call out
Rira, Rira
I forget the world is at war
I speak of peace again
So they will forget me more


希望を胸に 私はなにげなく立ち寄って
「リラ、リラ!」と
誰よりも 大きな声で呼ぶ
世界が戦争をしていることも忘れて
そして再び 平和を口にするの
みんなが 平和の代わりに 私を忘れ去ってくれるように

 

リラ・アッバシ(Rira Abbasi)

 

アッバシ氏は、イランのホラマーバード(Khorramabad)に生まれ、現在は英国イングランド在住の平和活動家である。「International Festival of Peace Poetry in Iran」の創設者・ディレクターも務めており、前掲の詩は彼女の信念がそのままかたちとなった一作。

 

原語のアラビア文字で書かれたペルシャ語とともに、英語も併記された対訳形式なので、詩と語学に興味のある人には面白い一冊かもしれない。

 

ソニア・バラサニアン:少数民族としてのアイデンティティーが国境の是非を問う

とても印象深い、一人のアーティストに出会った。最後に、彼女の詩で本稿を締めくくってみたい。

 

ソニア・バラサニアン(Sonia Balassanian)は、アルメニア系イラン人の画家・彫刻家・詩人。米国に留学しアートを学んだが、特に1979年以降(つまり、イラン革命以後)は「ポリティカル・アート」をテーマとした抽象画を発表し続け、精力的に社会活動も行っている。

 

www.soniabalassanian.com

 

バラサニアンの公式ウェブサイトに、「国境のアイデンティティー」と題された一節が掲載されているが、これは彼女が2009年の夏に、歴史上重要なアルメニアの地域(現トルコ東部)へ旅した際に書かれたもの。19世紀末と20世紀初頭の二度にわたり、オスマン帝国領内で起きたアルメニア人虐殺の歴史を、彷彿とさせるに余りある短詩だ。

 

I am a shadow of my past and present,
between identities and countries.
How can I cross
these boundaries,
these borders,
these lands?

 

私は 過去と現在の影
アイデンティティーと国家の狭間にいる
どうしたら この境目を、国境を、大地を
越えられようか?

 

しかしバラサニアンが、アイデンティティーと国境を意識したのは、これが初めてではなかったという(Yaghoobi, Claudia. 2023. Iranian Armenian Poetry: Sonia Balassanian Crossing Borders of Consciousness)。アルメニアへの旅よりも25年前の1985年、イラン・イラク戦争(1980年~1988年)が激化する渦中に、彼女はもう一つの詩を書いていたのだった。

 

We think about the miracle of life
of earth,
sun, light.

 

We destroy circumferences
Erase the borders.

 

They suffocate the light,
In madness, pound the steel chains,
Constrain the laughter of the earth,
Close the shutters of the sky,
Erase the windows blue,
and encircle themselves in the spider’s web.

 

Mounted on hurricanes of the world
We dash into the suns of light …

 

 

私たちは 命の奇跡について考える
大地の奇跡
太陽の奇跡
光の奇跡

 

私たちは 周辺の垣根を取り払い
国境を消し去る

 

国境は 光の息の根を止め
狂気のうちに 鉄の鎖を打ち込み
大地の笑みを縮ませ
青空の天蓋を閉めきり
窓の青色をかき消して
みずからも 蜘蛛の巣にとらわれる

 

世界に吹き荒れる 嵐に乗って
私たちは 太陽の光の中へ 飛び込む…

 

国境で引き裂かれた世界にあって、民族が、人種が、人間が交わるとは、どういうことか――。バラサニアンのアートが持つ力とは、分離主義やナショナリズムを煽る覇権主義的な言説を、ことごとく破壊する意志であり、国境を超越したいと願う、人間の普遍的な願いそのものなのだろう。

 

 

 

【関連資料】

以下は現在、国内外で入手可能な現代ペルシャ詩集の一例。マイナーな文学ジャンルだけに、興味のある方にとってご参考の一助になれば幸いである。

 

《日本語版》

 

《英語版》

 

さらに、現代イラン人女性詩人に特化した、カナダのトロント大学が運営する膨大なデジタルアーカイブがある。内容の充実度は、他サイトの追随を許さないクオリティーを誇る。

 

Women Poets Iranica
The University of Toronto, in collaboration with the Encyclopaedia Iranica Foundation (EIF)