日本に根づくイスラム文化の拠点・東京ジャーミイ 見学ルポ

東京ジャーミイの礼拝堂(東京都渋谷区大山町)

 

長生きする者は多くを知る。しかし旅する者はそれ以上を知る。

من يعيش يرى ,لكن من يسافر يرى أكثر

(アラブの諺)

 

日本国内でもイスラム世界に触れられる、貴重な信仰の場

異郷を旅することは、ほぼ息をすることに等しい――それほど旅好きの人間とっては、コロナ禍で生きることは大変厳しいものです。新型コロナウイルスのパンデミックにより、2020年初頭から3年連続で海外旅行に出掛けることが困難になっている中、考えることはただ一つ。「日本国内でも異文化体験をしたい!」ということに尽きます。

 

2021年2月に、俳優・タレントのサヘル・ローズさんが公式YouTubeで紹介していたのを視聴して以来、ずっと念願だった東京ジャーミイ・ディヤーナト トルコ文化センターでしたが、2022年のGWに満を持して、ようやく訪れることができました。このご時勢に考えることは皆一緒(?)らしく、日本人訪問者の姿も数多く見られたのは意外な驚き。まさに「日本で旅する異文化世界」、というところでしょうか。

 

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東京ジャーミイの広報・出版活動を担当されている下山茂氏は、非ムスリムの日本人向けに定期的な見学会のガイドを務めておられますが、筆者も幸い、このガイドツアーに飛び入りで参加することができました。下山氏ご自身もイスラム教徒であるだけに、イスラムの歴史・文化には大変造詣が深く、一般の日本人なら「へぇ~」と感嘆するような豆知識がふんだんに盛り込まれていました。

 

本記事では、下山氏が熱弁を振るってくださったお話を中心に、現地で撮影した写真や、関連するYouTube動画などをあれこれ盛り込みながらご紹介していきたいと思います。

 

タタールからトルコへ――東京ジャーミイが辿った歴史的変遷

日本に最初期のモスクを立てたタタール人とは?

イスラム文化圏というと、どうしてもイラン、イラクなどアラビア半島諸国をイメージしがちですが、日本へ最初にイスラム教をもたらしたのはタタール人でした。

 

日本におけるイスラム教の歴史は比較的浅く、20世紀初頭に始まります。1917年のロシア革命によって故国を追われ、亡命してきたカザン州のタタール人が日本で初めてイスラム教寺院のモスクを建立したのは、1935年の神戸でした(現神戸ムスリムモスク)。次いで1938年、東京で新たに「東京回教礼拝堂(現東京ジャーミイ)」が建てられました。これは、盧溝橋事件が起こって日中戦争の火蓋が切られた翌年のことです。

 

タタールという民族の歴史はあまりに複雑で、時代や場所によって人々の実態が異なるために、なかなか一筋縄ではいきません。日本では、中国から伝わった「韃靼(だったん)」という遊牧騎馬民族の呼称で知られますが、東はモンゴル高原の東北部、シベリア、カザフステップなど、西はヴォルガ川流域、クリミア半島、東欧のリトアニアなどまで広域に住む人々の総称であり、髪の色もアジア系(黒・茶)であったり、ヨーロッパ系(ブロンド・赤毛)でもあります。

 

世界的に有名なタタール人としては、フィギュアスケート選手のアリーナ・ザギトワ、カミラ・ワリエワ、そしてソプラノ歌手のアイーダ・ガリフッリーナが挙げられます。彼女達のエキゾチックな美しさを引き立たせる化粧を施す前の動画や写真を見ると、とてもアジア的な顔立ちをしているので、なんとなく親近感が湧くかもしれません。

 

歴史好きの人なら、チンギス・ハーンの父、イェスゲイが宿敵のタタール族を捕えたり、恨みを買って毒殺されたりでややこしい関係にあったという逸話で、タタールの名を耳にしたことがあるかもしれません。その後、タタール族はモンゴル帝国傘下に入ることで、ヨーロッパ遠征とともに西方へも移動していきます。そして時代は下って、ロシア革命。回り回って、近代に入ってようやくタタール人が日本人と邂逅したのも、歴史が生み出した数奇な運命なのでしょう。

 

二度の大戦を経てつながったトルコと日本

1938年の竣工から現在に至るまでの経緯については、「東京ジャーミイの歴史」に詳しく書かれているので、ここではあえて再掲しません。ただ、近現代の歴史のほとんどがそうであるように、人々が他国への移動を余儀なくされたのは、商業活動の場を転換・拡充する目的を別として、革命や戦争などの極めて政治的要因が引き金となって、やむを得ず逃れてきた結果でした。

 

現代日本のように、神戸のイスラム文化センターや東京のトルコ文化センターなどが中心となり、非ムスリムの日本人でもオープンに国境を越えた文化交流ができるようになったのは、ようやく平和を享受できる戦後の時代になってからのことです。

 

東京ジャーミイの記述によれば、ロシアの社会主義革命で迫害を受けたイスラム教徒の中でも、「カザン州のトルコ人達」が中央アジアを経由して 満州へと移動し、さらに韓国や日本へ移住したとあります。カザン州とあるのは、おそらく1708年から1920年にかけて設置されたロシア帝国の県(グベールニヤ)の一つであったカザン県を指していると思われます(現在はほぼその領域が、ロシア内のタタールスタン共和国として引き継がれている)。

 

ただ、1917年当時のトルコはまだオスマン帝国で、いくら広範囲にわたり勢力を伸ばしていたとはいえ、黒海よりもはるか北東に位置しているカザン県までは領土としていませんでした。ですから、これは下の地図などを踏まえた憶測の範疇を超えないものの、多民族国家であったオスマン帝国出身のタタール人が、何かしらの活動を行うためにカザン県内に滞在していたのではないでしょうか。

 

"Southern Asia 1917: Russian Revolution" from Omniatlas

 

実は、第一次世界大戦(1914~1918年)、第二次世界大戦(1939~1945年)を通じて、オスマン帝国またはトルコ共和国(1923年に建国)は、日本と敵対していました。第一次世界大戦では、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国とともに中央同盟国として参戦したオスマン帝国は敗戦。その後のオスマン帝国は、連合国(協商国)を中心とするイギリス、フランス、イタリア、ギリシャ、アルメニア、クルディスタン、そしてわずかに残ったトルコ領に割譲され、600年以上も続いたイスラム教の帝国が滅亡しました。

 

次いで第二次世界大戦には、トルコ共和国として連合国に参戦。残念ながら、枢軸国側についた日本とは敵対関係となります。戦時下での、東京回教礼拝堂や神戸モスリム・モスク(当時)がどのような状況に置かれていたのかは記されておらず、ここでは知ることができません。しかし半世紀以上にわたり、これらのモスクが在日ムスリムの人々にとって心の拠り所となってきたことは疑いなく、トルコ以外の土地出身のイスラム教徒にも礼拝の門戸が開かれていたのは特筆すべきでしょう。

 

老朽化によって1986年にいったん取り壊された東京回教礼拝堂は、2000年にトルコ本国の支援を受けて、東京ジャーミイ建設のために建築材が取り寄せられ、技術者・職工も来日したとのことです。かくして、私達が今でも目にすることができる、オスマン様式の美しいモスクが誕生しました。ちなみに「ジャーミイ(camii)」とは、トルコ語で「人の集まる場所、転じて大きなモスク」の意。

 

現在、日本に住むイスラム教徒の数は約23万人(そのうち約20%が改宗した日本人)で、ムサッラー(小規模な礼拝所)を含めると140以上のモスクが建てられているといわれています(日本イスラーム文化センターより)。

 

なんだかんだと前置きが長くなりましたが、さあ、いよいよバーチャルツアーに入りたいと思います!

 

いざ、東京ジャーミイの中へ

【見学の前に……】

一般公開されていますが、神聖な宗教施設ですので、メディア関係者・個人問わず、見学の際には事前に公式ウェブサイトで「見学に関する諸注意」をよく読んでおいてください。

 

以下、個人向けの主な注意事項を明記しておきます:

  • 礼拝場内での写真・ビデオ撮影は、事前の許可を取れば、建物等は可能。なお、他の来館者の方々や信徒の方々、また礼拝中の方々を被写体にしない
  • 礼拝中の写真・ビデオ撮影は禁止
  • 礼拝中の見学は可能。なお、後方に静かに座り、場内を歩き回らない。
  • 礼拝場の2階は、女性専用の礼拝所のため、男性の入場は禁止
  • 女性はヒジャブとして、ストールかスカーフ(色、柄、形は不問)を着用。
  • 性別を問わず、肌を大幅に露出するハーフ/ショートパンツ、キャミソール、タンクトップ、ミニスカート等での来場は控える。

 

ちゃんと守りましたね? それでは参りましょう!

 

東京ジャーミイのエントランス

 

異国風の瀟洒な高い門を抜けると、そこはイスラム世界であった

最寄りの代々木上原駅から北口を出て、左へ進むこと徒歩5分、緩やかな坂道になっている井の頭通り沿いに、東京ジャーミイが立地しています。白亜を基調としたオスマン・トルコ様式の建物に刻まれているアラビア文字が、見る人を一気に異国情緒溢れる世界へと誘ってくれること請け合い。不審者でない限り(!)、来る者は拒まず、誰でも中に入れてくれます。

 

1階のホールは、ちょっとした書籍売り場や、トルコ風客間を模したゲストルーム、創設された当時以降の古い写真を飾った戸棚などを擁しているほか、ラマダン明けに約300人分の食事も振る舞える食堂を兼ねた、広い多目的ホールが隣接しています。さらに奥へ進めば、「ハラール・マーケット」という、文字通りハラール認証された食料・お菓子・雑貨・土産物の売店があるので、見学後にぜひ立ち寄ってみたいものです。

 

さて、礼拝堂へと続く階段を上ってみましょう。

 

礼拝堂の入口

 

女性はここで、ヒジャブ代わりにスカーフやストールを頭に巻いてください。入口では忘れた人のために貸し出しも行っています。ちなみに、筆者が持参した90cm×90cm大の正方形スカーフを巻いてみると、微妙に長さが足りず、手ぬぐいでほっかむり(頬被り)したひょっとこ状態に……(恥)。まあ、顔以外の頭部がすっぽり隠れればいいんだけど。まともに綺麗な巻き方をしたい人は、事前に予習しておくことをおすすめします(具体的な方法は、末尾に動画を掲載しているのでご参考までに)。

 

礼拝堂の中へ一歩入れば、そこはもうイスラムの世界!

 

見上げてみれば、明るく淡い青、すなわちターコイズブルー(turquoise blue=トルコ石の青)を基調として、大小の幾何学文様に彩られたドーム型の高い天井を仰ぐことができます。アラビア書道を模して枝分かれした腕木に、たくさんのランプが下がっている巨大なシャンデリアも見事。まさに「オスマン様式の美、ここに極まれり」といった風情です。

 

お祈りを捧げる正面は、キブラ(قبلة / qibla)と呼ばれるメッカの方角を指す。思わず感嘆のため息が出るほど煌びやかで美しい、天井に描かれた幾何学文様の装飾

 

かつて、江戸っ子のタタール人タレントがいた

ここで一つ、下山氏が話してくださった意外なエピソードをご紹介します。筆者は全く知りませんでしたが、戦後日本に活躍し、巧みな江戸弁を話す、いわゆる外国人タレントとして知られたロイ・ジェームス(Roy James、1929~1982年)という方がいたそうです。本名はハンナン・サファ。後に日本に帰化して六条祐道と改名し、結婚後は湯浅祐道となりました。

 

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なぜいきなり、ロイ・ジェームスさんなのでしょうか? ご本人は東京の下町生まれでしたが、ロシア革命で亡命してきたカザン・タタール人のアイナン・ムハンマド・サファ氏を父に持つトルコ人でもありました。アイナン・サファ氏は、東京回教礼拝堂の第5代責任者にしてイマーム(導師)を務めた人物でもあります。

 

祭壇の右隣に設置されているのは、イマームが集団礼拝の際に説教を行うための階段状の説教壇

 

ロイ・ジェームズさんが、モンゴロイド(アジア系)というよりコーカソイド(ヨーロッパ系)の顔立ちにとても近いのは、ヴォルガ川中流域やウラル山脈周辺の「イデル=ウラル」と呼ばれる地域に住んでいるタタール人の血を引いているからかもしれません。

 

日本語は言うまでもなく、英語も達者。俳優として出演した映画でも、米兵など外国人の役を演じているほどですから、Roy Jamesなんていう、いかにも英語風の芸名を名乗っていれば、イギリス人とフランス人さえもろくに見分けがつかない圧倒的多くの日本人の目には、仮にロイさんが「私はアメリカ人ですよ」と冗談を言っても、絶対にバレないと思う。まあ、ちょろい日本人達……(苦笑)。

 

意外と知られていない? 私達も身近に享受しているイスラム文明の恩恵あれこれ

明治時代以降、アメリカや西欧から多大な影響を受けてきた日本は、それ以外の世界をほとんど知らずに今日にまで至っているといっても過言ではありません。逆に現代の欧米では、7世紀以降のイスラム文明がもたらした数々の功績を再評価する動きが活発化しています。

 

例えば「1001 Inventions」は、イギリスを拠点とした科学者らによる非営利の国際組織ですが、世界の科学・文化的遺産に貢献した創造的なイスラム世界に着目。ガイドの下山氏も、以下のパネルを用意して私達に見せてくれましたが、意外に身近な所でイスラム文明の恩恵に与っていることを知りました。

 

コーヒー然り、アラビア数字然り、チューリップ然り、そのほとんどがヨーロッパ経由で日本に伝わっています。それらの歴史的裏話が、奥深くて面白い。

 

Discover the Muslim Scientific Heritage in Our World from 1001 Inventions

 

ハウステンボスもびっくり! チューリップはオランダ原産ではなかった

東京ジャーミイがトルコゆかりの建築であることを知るのに、とても象徴的なシンボルがあります。それは花。特にチューリップの原種です。トルコの国花にもなっているチューリップですが、古くはオスマン帝国時代から歴代の皇帝に愛されたことで、この花をモチーフにした服飾や工芸美術品が流行し、いわばチューリップ文化が開花しました。

 

チューリップと並んで、イスラム世界で愛された花にカーネーションとバラがあります。偶像崇拝を禁止しているモスクでは、人物や動物を描くことが忌避される代わりに、しばしば草花などをモチーフとする幾何学文様が、アラベスクというイスラム美術に結実しました。中でも、花びらの細やかさが美しいカーネーションはその代表格。また、イスラム世界において、白バラは預言者ムハンマドを表し、赤バラが唯一神アッラーを表すという説もあるとか。

 

温暖な気候で多種多様の花々が咲き誇る中近東では、精神病院での治療法として、音楽や噴水の音を聴かせるとともに、花を愛でるという方法もあったそうです。薬漬けにしがちな近代医学よりも先駆けて、ある意味、自然を採り入れた代替療法が発達していたのかもしれません。

 

東京ジャーミイの礼拝堂の中にも、チューリップをモチーフとした文様を随所に見ることができます。

 

壁に描かれたシンボリックなチューリップの模様

こんな片隅にもさりげなくチューリップが描かれている

 

アナトリア(現トルコの一部)やイラン、中央アジアのパミール高原、ヒンドゥークシュ山脈、カザフスタンのステップ地帯やキルギスなどが原産のチューリップ。地中海沿岸や西アジアが原産のカーネーション。古代オリエントの時代から自生していたバラ。いずれも後世にヨーロッパへ伝わり、世界的に人気爆発。野バラは日本でも『万葉集』や『常陸風土記』(常陸国は今の茨城県ですから!)に記録されるほどに古くからありましたが、西洋バラを含めてヨーロッパで品種改良されたチューリップやカーネーションが日本にもたらされたのは、江戸時代以降だったようです。

 

ついでに夢をぶっ壊すようなエピソードを言うと、長崎オランダ村(2001年に閉園)と同じコンセプトで造られたテーマパーク「ハウステンボス」に植えられているチューリップは、ことごとく人工的に土壌改良し、植栽しただけのこと。確かに長崎の出島はオランダと深い関わりがあったものの、最初からチューリップが名物だったわけではありません。バブリーな日本人が好みそうなヨーロッパのイメージを丸ごとテーマパークに仕立てて、なんとなく「オランダといえばチューリップ!」みたいに浅薄なアイディアで売り出した、いわばなんちゃって観光地なわけです、ハイ(笑)。

 

カザフスタンの高地に咲くチューリップの原種 from ユーラシア旅行社 添乗員ブログ「添乗見聞録」

 

イスラム世界は数学と天文学の発達の担い手

イスラム教(イスラーム)は、西暦610年(推定)にアラビア半島のメッカ郊外でムハンマドが唯一神アッラーの啓示を受けたことが発祥とされています。当時のメッカは、アフリカ、インド、東南アジア各地から商人がひしめく大都市でした。預言者となる以前のムハンマドも、実は元商人。ここではイスラム教自体についてはさておき、当時のイスラム世界がいかに先進的だったかを見てみたいと思います。

 

国から国へ、東西南北に物資を運搬して利益を得る隊商交易は、当然ながら商業だけではなく、多国間での文化交流を発展させました。そして月と星は、商人のキャラバンを導く印であり、こういったイスラム世界を中心とした国際交易が、おのずと天文学や数学、地理学などの発達を促したわけです。8~9世紀に活躍したイスラム科学者、アル=フワーリズミー(الخوارزمي/al-Khuwārizmī)が有名ですね。IT用語の「アルゴリズム(algorithm)」も彼の名に由来しています。

 

イスラム世界は、現代の西側社会がイメージとして抱きがちな“野蛮な砂漠”では決してなかったようです。830年にバグダッドで設立された図書館「知恵の館」に巨大な翻訳センターがギリシャに設置されたおかげで、古代ギリシャ・ローマ文明の膨大な文献がアラビア語へ訳されました。数学、とりわけユークリッド幾何学がイスラム世界で発達し、イスラム美術のアラベスク(arabesque)様式の原型となったことは有名です。

 

偶像崇拝が禁じられたモスクで用いられる描画や建築が、神々しいまでの極めて精緻な幾何学文様となっていることに頷ける気がしますね。

 

東京ジャーミイ礼拝堂の四方に見られる彫刻。「細部にも神は宿る」とはまさにこのこと⁉

 

古代のインド数字に起源を持つ算用数字ですが、今でも「アラビア数字(Arabic numerals)」と呼ばれるのは、単純にイスラム世界からヨーロッパへと伝わったからです。数学が超苦手な人間にとっては、甚だ迷惑だったかもしれない……。高校のA-Levelで常に赤点ギリギリだった劣等生は、この私です(涙)。

 

下山氏がパネルを用いて説明してくださった十進法ですが、1~9までの形は、それぞれの数字が持つ「角の数(つまり、1 angle, 2 angles......)」によって決まり、数字が大きくなるにつれて円(0=ゼロ)に近づくというものでした。ちなみに数字の「7」については、欧米式に真ん中に小さな横線が入ります。

 

つまり、次のような図になるわけですね。

 

アラビア数字に含まれる角の数 from Quora "Aren't Arabic numbers actually Hindu?"

 

しかし、本記事を書くにあたり、ど素人なのでいろいろ調べているうちに、どうやら現在はアラビア文字が角の数ではないとする説の方が有力になっているようでした。然るべき公的機関が出している情報は見当たらなかったのですが、例えば高校数学の先生が説明している、下の動画などがそうです(他にも多数あり)。

 

この「角の数」説、とっても魅力的だし意表を付くので、東京ジャーミイのガイドツアーに参加していた人達一同、「おおーっ!」と驚きのどよめきが湧いていました。面白いんですけどねー。

 

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ムスリムもびっくり! 世界中で愛されるコーヒー

「昔アラブの偉いお坊さんが~♪」の歌い出しで、印象的に始まるポピュラーソングがありましたね。もともとは、ベネズエラのアルパ奏者、ウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)が歌ったナンバー「Moliendo Café(コーヒーを挽きながら)」でしたが、その後、世界各地で流行歌手がこの曲をカバーし、爆発的な人気を呼びます。日本でも1960年代に西田佐知子が歌った「コーヒー・ルンバ」を皮切りに、カバーした歌手は数知れず。筆者の世代なら、断然、荻野目洋子だな~。

 

いや、ちょっと待て。ルンバ(家電じゃないぞ)は、そもそもキューバ発祥の音楽だよね? イスラム教にお坊さんはいないよね?(イマーム「導師」ならいるけれど、聖職者は事実上いないことになっている)――などなど、ツッコミどころ満載の歌ですが、コーヒーがイスラム世界で発祥したことを物語ってくれる、名曲ならぬ”迷曲”には違いありません。

 

 

それぞれの祈りの場

礼拝堂の中では、男女別に祈りのスペースが分かれています。これは、公共の場で女性は家族以外の男性と同席できないという、クルアーンの教えに由来するものだそうで、東京ジャーミイでは男性が前方の1階、女性が後方の2階に指定されていました。

 

女性用の礼拝所へ行くために、ここから階段を上る(男子禁制)

2階の女性用礼拝所

 

下山氏の解説によると、その理由について「そばに異性がいたら祈りに集中できないから」というものでした。う~む、なるほど……。

 

イスラム教徒の女性達は、見晴らしのよい2階から、階下の男達を見下ろしながら、いったい何を思い、祈るのか……。いつか、ご本人達にお聞きしてみたい気もします。

 

『クルアーン(コーラン)』の聖典

 

ハラール・マーケットをのぞいてみよう

見学が終わったら、ぜひ東京ジャーミイに併設された「ハラール・マーケット」に立ち寄ってみてください。中には「えっ、これもハラールになっているの?」と思うような、普段のスーパーでなじみのある食材も。なんとインスタント麺もありました!

 

ちなみに筆者は、インドネシア製のえびせんや、クルアーンのアラビア文字を細かく刻んだ甲冑の置物を、めでたくお買い上げした次第です。

 

普通のスーパーでも売られていそうなインスタント麺も、ここでは全てハラール認証の商品が並んでいる

インドネシア産のえびせん

「50%引き」の文字が思わず目を引く、かっこいい甲冑型の置物

トルコの甲冑を模した置物。一目惚れして迷わずゲット!

 

こちらは、ハラールマーケットで入手した甲冑の置物です。よく目を凝らして、胴衣に描かれている紋様を見ると、極めて細かいアラビア文字が刻まれていますが、これは『クルアーン』の一節。店員さんは当初、細かすぎてこの文字の存在には気づかなかったようですが、レジで尋ねてみると、ご親切にも文字を読んでくれました。

 

胴衣に刻まれた極小の文字。ここにも細部の神が宿る……⁉

 

ウェブマガジン「雛形」が発信している次の記事は、イスラム教のことをほとんど知らない日本人向けに、とても真摯な筆致で下山氏へのインタビューを綴っています。

 

誤解や偏見は、知らないこと、無知から生まれます。そして、偏見は放っておくと、差別になってしまうのです。
   <中略>
異文化共生、異文化理解というのは、並大抵のことではありません。
   <中略>
ひとりでも多くの日本の人々にここを訪れてほしいと思っています。撮影をしたり、その美しさを発信したりしてくれることも歓迎です。メディアやSNSなどでこの場所を知って、見学に来てくださった方の多くが、私の話を熱心に聴いてくださいますから。どんなきっかけであっても、イスラムという大きな文明に目を向けてもらえたらと思うのです。

 

www.hinagata-mag.com

 

<おまけ:スカーフの巻き方>

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